劇作家、演出・脚本家、女優など
マルチに活動する根本宗子さんをご存知ですか?
「今夜くらべてみました」や「ワイドナショー」などに出演し注目を集めている1人です。
根本さんは学生時代、6年間車椅子生活を余儀なくされた過去があります。
壮絶な闘病生活の経緯をまとめていきます。
根本宗子の壮絶な車椅子生活とは?6年間の闘病内容がやばかった!
根本宗子さんは19歳で劇団、月刊「根本宗子」を旗揚げ。
以降、劇団公演ではすべての作品の演出などを手掛け、女優としても外部作品にも多数出演。
バラエティー番組などにも出演されており
多種多彩な根本さんはその美貌からもとても注目を集めています。
ケガにより車椅子生活となった
そんな根本さんは学生時代、ケガにより6年間車椅子生活を余儀なくされました。
そのケガのきっかけとなったのは、中学1年生の時の体育祭のリレー。
バトンを受け取る時に人とぶつかり、転んだことがきっかけだったそうです。
よくあるシチュエーションですよね。
根本さんは転んだ時の打ち所が悪く、股関節を骨折。
無理に立ち上がろうとしたことで骨の中の血管が切れてしまったのです。
そのことがきっかけで「外傷性大腿骨頭壊死症」と診断され車椅子ユーザーになったそうです。
術後のしんどい闘病生活
その後根本さんは、骨折に対しての手術を行いました。
骨折直後の手術があまりにも大変で
「もうこのまま車椅子でもいい……」
そう思わせるぐらい、つらいものだったんです。
引用:telling
その手術の術後はかなり過酷なものだったと話しています。
その後何度か手術をすることになるのですが
2回目の手術もどうしようか悩んだくらい相当きつかったと当時を振り返っています。
車椅子生活は物理的にも精神的にも生きづらいと話しており
車椅子での移動も、天気によって不便さが変わってくるといいます。
日常的に車椅子が必要になり、大変なことが増えたということは想像できますよね。
ボルトを抜く検査で状態悪化が判明
骨折に対しての手術でボルトで固定していたため、今度はボルトを抜く手術が必要になってきます。
しかし、このボルトを抜く術前検査で状態が悪化していることが判明。
回復への道のりが遠いことを知ったそうです。
手術をしたらよくなると思っていた根本さんは
完治することは簡単ではないということを痛感することになったのです。
セカンドオピニオンに相談
根本さんを担当していた主治医はとても親身で信頼できる先生だったそうです。
根本さんの病気には手術法がいくつかあり、どれが最適かというのが現在もまだ明確にはなっていません。
そのためセカンドオピニオンという形で他の医師から説明を聞くことにしたそうです。
その時に説明してくれた先生に「頑張ってね」と言われた根本さん。
その言葉に違和感を覚えたと話しています。
ずっと診てくれていた医師は「僕が頑張ります」と言ってくれていたそう。
やはりこの微妙な言葉の違いは感じ方が全然違ってきますよね。
2つの手術法で悩む
セカンドオピニオンの医師が説明した術式では
「またスキーをできるようになるかもしれないが失敗すると歩けなくなるリスクの伴う手術」
どの手術もリスクは伴いますが説明の内容から一か八のような手術と感じたそうです。
ずっと診てくれていた医師は
「同じようにスポーツは難しいけど歩ける可能性がより高い手術」
2つの手術の説明でかなり悩んだといいます。
そしてどうしても決めることが出来なかったそうです。
コイントスで選択した
そんな中、交流のあった勘三郎さんがその話を聞き10円玉を取り出し
「表が出たら“スキーができると言った先生”、裏が出たら“最初の先生”」
と言ってコイントスをしたそうです。
1回目、2回目と出たのは”表”
表を出るたびに「もう一回やり直し!」とコイントスを続けた勘三郎さん。
そして3回目に出たのは”裏”
そこで「3度目の正直だからその先生の方がいい」と勘三郎さんは話したそうです。
根本さんは勘三郎さんのコイントスで最初から担当してくれた先生に手術をお願いする決意をしたそうです。
一生を生きてみないと答えはわからない
根本さんはその時の選択のおかげで車椅子を卒業出来ました。
どちらが良かったのかは一生を生きてみないと答えはわからない
と話しています。
根本さんは「今、出来る、精一杯。」という舞台の脚本、演出を務めています。
思春期の怪我によって車椅子生活を余儀なくされた女性とヒモの彼氏、そして彼女たちをとりまく登場人物たちの様々な愛や死を描いた作品です。
自身の車椅子生活から様々なことを学んだ根本さん。
これからも活躍を楽しみにしています。
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